絵画作品
蓮華千手観音
物語り
原始仏教を学んでいた私は、この作品を描くまで神仏を描くことはタブーとしていました。
神頼みをするという姿勢そのものが、お釈迦さまの言葉にそぐわないと思っていたからです。
しかし、ある日大好きな幼馴染から電話がかかってきて、数日後に最後の望みを託して手術を受けることを知りました。
とても信仰深かった彼女は、もしかしたらこのこの世を去らなくてはいけないかもしれないという現実をしっかりと受け止めながらも、まだ幼い子供や母親のことを心配していました。
さらに、私の体のことを気遣ったりと、自分のこと以上に周りの人のことばかりことを気にかけてばかりいたのです。
無菌室で何ヶ月も闘病し、コロナ禍だったので家族さえも会いに行くこともできず、一人で戦い続けている彼女に何か心の支えになるような絵を送りたいと思って、それまで描いた作品を見返してみました。
当時、私が描いていた作品は、古典経典を紐解いた「生きるための知恵」を描いた作品シリーズばかりで、死を前にしながらも希望を捨てず周囲を気遣う彼女にふさわしい絵はひとつもありませんでした。
その時初めて、仏教に神仏が生まれた理由が腑に落ちて、私は初めて小さな菩薩の絵を描いてお守りと一緒に彼女に贈ったのです。
それ以来、私は神仏は人が祈ったり願ったりすると現れて救ってくれる存在ではなく、いかなる時でも、どんな場所にいても、常に私たちのすぐそばにいてくれている存在であり、その存在を感じて慈悲を受け取ることができるのは、覚悟をした人だけなのではないかと思うようになりました。
やがて彼女は闘病の末に亡くなりました。
その彼女を思いながら、一心にこの蓮華千手観音を描きました。
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千手観音はその超人的な姿で菩薩の慈悲深さを表現された菩薩様です。
なぜこのような姿になったのかを知ることができる、ある話があります。
ある観音菩薩は、「一人残らず苦しむ人を救う」と請願を立て、日夜休みなく衆生の救済に尽くしました。
しかし、どれほど努力しても苦しみが尽きないことに絶望し、悲しみのあまり体がバラバラに砕け散ってしまいます。
それを見たお釈迦さまは、菩薩のかけらを拾い集め、請願を果たせるようにと千の手と千の目を授け、再び立ち上がらせました。
こうして「千手観音菩薩」が誕生したのです。
絵画や彫刻では、実際に千の手を持つ姿のほか、合掌する2本の手と40本の脇手、合わせて42本で表現されることが多くあります。
脇手1本で25の苦しみを救うとされ、40本で1000の救済の力を象徴すると考えられています。
本来であれば、40本の脇手には法具や蓮華などを持っていますが、剣などの武器も含まれています。
武器は人々を正しき道へ導く象徴ですが、この世には絶対的な正しさは存在しないと私は考え、すべてを蓮華の蕾に描きかえました。
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菩薩も私たち人間と同じ輪廻の世界を生きる生き物。
特別な力で人々を救済してくれるスーパーマンのような存在ではなく、慈悲の心をもって利他の修行を積むその姿は、私たち人間の目指す姿なのではないかと思っています。
この世界が平和でありますように。
私たちの心が安楽でありますように。
神頼みをするという姿勢そのものが、お釈迦さまの言葉にそぐわないと思っていたからです。
しかし、ある日大好きな幼馴染から電話がかかってきて、数日後に最後の望みを託して手術を受けることを知りました。
とても信仰深かった彼女は、もしかしたらこのこの世を去らなくてはいけないかもしれないという現実をしっかりと受け止めながらも、まだ幼い子供や母親のことを心配していました。
さらに、私の体のことを気遣ったりと、自分のこと以上に周りの人のことばかりことを気にかけてばかりいたのです。
無菌室で何ヶ月も闘病し、コロナ禍だったので家族さえも会いに行くこともできず、一人で戦い続けている彼女に何か心の支えになるような絵を送りたいと思って、それまで描いた作品を見返してみました。
当時、私が描いていた作品は、古典経典を紐解いた「生きるための知恵」を描いた作品シリーズばかりで、死を前にしながらも希望を捨てず周囲を気遣う彼女にふさわしい絵はひとつもありませんでした。
その時初めて、仏教に神仏が生まれた理由が腑に落ちて、私は初めて小さな菩薩の絵を描いてお守りと一緒に彼女に贈ったのです。
それ以来、私は神仏は人が祈ったり願ったりすると現れて救ってくれる存在ではなく、いかなる時でも、どんな場所にいても、常に私たちのすぐそばにいてくれている存在であり、その存在を感じて慈悲を受け取ることができるのは、覚悟をした人だけなのではないかと思うようになりました。
やがて彼女は闘病の末に亡くなりました。
その彼女を思いながら、一心にこの蓮華千手観音を描きました。
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千手観音はその超人的な姿で菩薩の慈悲深さを表現された菩薩様です。
なぜこのような姿になったのかを知ることができる、ある話があります。
ある観音菩薩は、「一人残らず苦しむ人を救う」と請願を立て、日夜休みなく衆生の救済に尽くしました。
しかし、どれほど努力しても苦しみが尽きないことに絶望し、悲しみのあまり体がバラバラに砕け散ってしまいます。
それを見たお釈迦さまは、菩薩のかけらを拾い集め、請願を果たせるようにと千の手と千の目を授け、再び立ち上がらせました。
こうして「千手観音菩薩」が誕生したのです。
絵画や彫刻では、実際に千の手を持つ姿のほか、合掌する2本の手と40本の脇手、合わせて42本で表現されることが多くあります。
脇手1本で25の苦しみを救うとされ、40本で1000の救済の力を象徴すると考えられています。
本来であれば、40本の脇手には法具や蓮華などを持っていますが、剣などの武器も含まれています。
武器は人々を正しき道へ導く象徴ですが、この世には絶対的な正しさは存在しないと私は考え、すべてを蓮華の蕾に描きかえました。
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菩薩も私たち人間と同じ輪廻の世界を生きる生き物。
特別な力で人々を救済してくれるスーパーマンのような存在ではなく、慈悲の心をもって利他の修行を積むその姿は、私たち人間の目指す姿なのではないかと思っています。
この世界が平和でありますように。
私たちの心が安楽でありますように。
作品概要
蓮華千手観音
制作年:2022年
素材:パネル・土・麻布・日本画煉絵具・アクリルエマルジョン・岩絵の具・金箔・玉虫箔・アルミニウム箔
サイズ:S50×2枚 連結