絵画作品
『音羽の瀧』 〜自灯明・法灯明〜
物語り
京都・清水寺は、その昔、賢心という僧侶の夢に出てきた、白衣の老翁が「北へ清泉を求めていきなさい」というお告げによって音羽山の瀧を見つけたことから始まりました。
現在もその瀧は現在も水が湧いており『音羽の瀧』として清水寺の中で拝観することができます。
この作品は、清水寺で開催された展覧会に参加するために制作した作品です。
音羽の瀧を金の線で現し、これを釈尊の教えである法灯明と捉えて仏様の教えを授かっている姿を描いています。
一方、私たちの内にある仏性である自灯明を、内なる光を放つものと考えて銀箔を用いて表現しました。
「この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」( 大パリニッバーナ経/中村元訳・ブッダ最後の旅)
釈尊が自分の死んだ後のことを心配する弟子達に残した言葉です。
自らの島を自灯明、法の島を法灯明と言いいます。
この世は無明といわれており文字の通り明かりの無い暗闇のような場所です。
この真っ暗な場所を私たちが手探りで恐る恐る生きているとしましょう。
でも、暗闇を照らす明かりがあれば、足下の石に気づくこともできるし、向こうから誰かやってくることに気づくこともできるし、なによりも暗闇がこわくありません。
その光が強くて先まで見通せることができれば、暗闇そのものも無くなってしまいます。
釈尊は、私たちの中にそもそもある仏心という明かりを磨いて灯しなさいと言ってくれています。
それでも分からないことがあれば、絶対真理の法(教え)があるから安心しなさいと、念をおして私たちの背中を押してくれています。
「だから、ほら、なにも心配しないで大丈夫だよ。」
釈尊がそんなふうに言ってくださっているのだと私は捉えています。
現在もその瀧は現在も水が湧いており『音羽の瀧』として清水寺の中で拝観することができます。
この作品は、清水寺で開催された展覧会に参加するために制作した作品です。
音羽の瀧を金の線で現し、これを釈尊の教えである法灯明と捉えて仏様の教えを授かっている姿を描いています。
一方、私たちの内にある仏性である自灯明を、内なる光を放つものと考えて銀箔を用いて表現しました。
「この世で自らを島とし、自らを頼りとして、他人を頼りとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」( 大パリニッバーナ経/中村元訳・ブッダ最後の旅)
釈尊が自分の死んだ後のことを心配する弟子達に残した言葉です。
自らの島を自灯明、法の島を法灯明と言いいます。
この世は無明といわれており文字の通り明かりの無い暗闇のような場所です。
この真っ暗な場所を私たちが手探りで恐る恐る生きているとしましょう。
でも、暗闇を照らす明かりがあれば、足下の石に気づくこともできるし、向こうから誰かやってくることに気づくこともできるし、なによりも暗闇がこわくありません。
その光が強くて先まで見通せることができれば、暗闇そのものも無くなってしまいます。
釈尊は、私たちの中にそもそもある仏心という明かりを磨いて灯しなさいと言ってくれています。
それでも分からないことがあれば、絶対真理の法(教え)があるから安心しなさいと、念をおして私たちの背中を押してくれています。
「だから、ほら、なにも心配しないで大丈夫だよ。」
釈尊がそんなふうに言ってくださっているのだと私は捉えています。
作品概要
『音羽の瀧』 〜自灯明・法灯明〜
素 材:パネル・土・アクリルエマルジョン・日本画煉絵具・金箔・銀箔・墨
サイズ:P20