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絵画作品

草木国土悉皆成仏

物語り

草木国土悉皆成仏とは仏教が中国に渡り土着の信仰と融合して生まれた言葉です。
すべてのものに命があり、すべてのものが仏になれるという考え。

山も川も星さえも全てのものは生まれいずれ死んでいくもの。
それはエネルギー循環そのものでです。

私はたまたま人として今この場所で生きているけど、私という存在も、私が起こす行動も、私が持つ思考も、全てはその壮大なエネルギーの循環の一部でしかないことを、あるひとつの命の終わりを見届けて気がついたことがきっかけに生まれた作品です。


ある夏の日。

いつものように林道を犬を連れて散歩していると、崖から足を滑らせて道に倒れた鹿が落ちていました。
山に住んでいると、こうした動物の亡骸を見ることは珍しくなく、このような場合は速やかに行政が死骸の後始末をしてくれます。

いつもならすぐに無くなるはずの鹿の亡骸は、次の日も、その次の日も同じ場所にありました。
亡骸の周りを黒い蝶が弔いのようにふわふわと飛び回って幻想的な景色だったのを覚えています。

さらに腕や脚が引きちぎられてバラバラになり、さまざまな体液は道に広がっていきました。

やがて小さな微生物が残った肉を分解して、最後には毛皮と骨とわずかに残った背骨の神経だけが残されたのです。


最初に亡骸を見つけた時はあまりに驚いて、かわいそうな気持ちでいっぱいになって道を引き返して家に戻りました。
徐々に小動物たちに食べられてバラバラになっていく様子はグロテスクで気持ちが悪く、その場を走って通り過ぎるようになりました。
やがて少しずつ少しずつ形を変えて消滅していく姿の変化を観察するようになりました。

そして、スッタニパータやダンマパダで読んだお釈迦さまの言葉を思い出したのです。




スッタニパータ第11章 勝利
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193 或いは歩み、或いは立ち、或いは坐り、或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす、──これは身体の動作である。
194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。
195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、
196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。
197 またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、
198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。
199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。
200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。
201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。
202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。
203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。
204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。
205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。
206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。



ダンマパダ 第11章 老いること 
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146 何の笑いがあろうか。何の歓びがあろうか?──世間は常に燃え立っているのに──。汝らは暗黒に覆われている。どうして燈明を求めないのか?
147 見よ、粉飾された形体を!(それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病いに悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない。
148 この容色は衰えはてた。病いの巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまう。生命は死に帰着する。
149 秋に投げすてられた瓢箪(ヒョウタン)のような、鳩の色のようなこの白い骨を見ては、なんの快さがあろうか?
150 骨で城がつくられ、それに肉と血とが塗ってあり、老いと死と高ぶりとごまかしとがおさめられている。
151 いとも麗しい国王の車も朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。しかし善い立派な人々の徳は老いることがない。善い立派な人々は互いにことわりを説き聞かせる。
152 学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない。
153 わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、──家屋の作者(ツクリテ)をさがしもとめて──。あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである。
154 家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。
155 若い時に、財を獲ることなく、清らかな行ないをまもらないならば、魚のいなくなった池にいる白鷺のように、痩せて滅びてしまう。
156 若い時に、財を獲ることなく、清らかな行ないをまもらないならば、壊れた弓のようによこたわる。──昔のことばかり思い出してかこちながら。


これらの文章が臭いと色彩を帯びて見えてくるような感覚になった時、
私が大きな生命の循環の中のほんの一部を、ほんのひとときだけ人として形作られて生きているのだということが、ストンと腑に落ちました。


分解された血肉は土になり、やがて草木を育てる肥やしになり、その草木を喰む動物たちを育て、その動物たちはさらに大きな動物たちに喰まれて命は循環していきます。

水もまた同じように、川から海に流れ、雲になってまた山へと到達して雨をふらして川へ流れていきます。
水は人にも動物にも小物にも昆虫にも全ての命に等しく恵みを与えて、多くの命を育みながら循環しています。

普段散歩をしている時には気がつきもしなかった、そんな命の連鎖が目の前一面に広がっているような錯覚に陥り、
お釈迦さまが残してくれた言葉とギュッと結びついて、この作品の核が生まれたのです。


女の子が天から金の光を手に受け取っている姿は、この一連の出来事から法の教えを受け取った私自身の姿を表現しています。







作品概要

草木国土悉皆成仏

素 材:パネル・土・アクリルエマルジョン・日本画煉絵具・岩絵の具・金箔・銀箔・玉虫箔・アルミニウム箔
サイズ:1030×1456㎜

 

チェルシーインターナショナルファインアートコンペティション2023 入選作品

ロンドン国際クリエイティブコンペティション2023 オフィシャルセレクション受賞作品

 

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